『ミストラルが窓を開けた』のこと
鉄島さんからテーマ「描くこと」、画家サーヴァント縛りの合同本の話をいただいたのは去年の夏のことでした。絶対に受けたい気持ちはあったし、実際話をもらった瞬間にはやりたいと答えたけど、正直難しいテーマだと感じていた。FGOでの彼女を好ましいと思う気持ちのなかに、画家たるゴッホの面白さはなかったし(すみません)、そもそも「描くこと」への理解を自分はおざなりにしてきたという点には自覚があった。
そうなるともう、改めてシナリオを読み返すしかなかったし、ゴッホ自身について本を読みあさってみるしかなかった。ノーチラスもミステリーハウスイベも、滅茶苦茶面白くて大好きなシナリオなんですが、読み返してもやっぱりネモ船長が好きだし、ゴッホが自ら光ると豪語するところはアツすぎて涙が出そうになる。良すぎる。けど「描くこと」か~ 「描くこと」ね
そもそもわたしは描くことがあんまり好きじゃないし、できたら描きたくないんでした。セリフ入れるのとコマを割るのが好きで、絵は想像を補助するための装置という具合だった。このテーマで描くのはきつかった。幕間で、クリュティエ=ヴァ・ゴッホががジャックからインスピレーションを得て言葉遊びから創作を始めたとき、迸るのはまず思考だった。先走る思考を絵筆が必死に追いかけていくような、生き急ぐ姿の切実さは、この現界だとモチーフをクリュティエ自身の危うい自己にしか向かないのかとも思った。その姿は好きだったかもしれない。生きづらいのになかなか死にきれない、誰かに理解してもらいたい、自分自身ですらわからないのに、隠したい、でもさらけ出したい、の暴れる心を面白がる気持ちにはどうしてもなれなかった。描くことがここに挟まってくるのが不思議でならない。FGOのなかで、ゴッホと絵画は分かちがたいものとしてあるけど、クリュティエ=ヴァン・ゴッホにとっての絵画が装置でなく何か自己回復(自己?どうだろう)的なものであってほしいとは思いました。
近景をピントがぼやけるほど眺める姿より、果てしない遠景に夢を見てしまう姿、カルデアをモチーフとしてふと目を向ける瞬間を捏造したくなったのは、今自分自身が、自語りで恐縮ですが、労働で必死になっていて、ここに彼が美しいと思った土や風や光がなにもなかったとしてもその切実さだけは変わらないろうと重ねてしまったところがあります。「描くこと」をできるだけ蚊帳の外に置いてあくまでこれは道具に過ぎないと言いながら、どうしても自分自身を重ねずにはいられないテーマでした。
最近忙しい!この漫画で同人活動終わりって言っちゃいたい。ここ2年弱仕事が割と忙しかったんだけど今が一番きつくて、でもこれからもっと大変っぽい。締め切りはかなり心を圧迫する。
またいつかやりたくなる瞬間が来るかもしれないけど、今はなんにも約束したくない、期間限定やお祭り騒ぎの空気についていけなくてしんどい。疲れてるのかもしれない。これが最後の原稿だと思って描きました。描くのが楽しいから、描きたいから描く人が多いのかもしれないけど、わたしは受け取ってもらえたらいいと思いながら描いていました。でもその受け取った人間は自分自身だったのかもしれない。でも、そういうのもあるんだ~という気持ちで受け取っていただけたら、どうか受け取っていただけたら幸いです。
お疲れさまでした。

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